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〜 2011年度春合宿 〜

社会交通工学科2年 1107番 浜田 卓

1. はじめに

 2011年度の春合宿は青森県で2泊3日の行程で行なわれた。以下にその模様を振り返ってみたいと思う。



2. 1日目(2012年3月8日)

 当サークルの合宿は現地集合・現地開催が伝統となっているが、今回の集合場所は青い森鉄道と十和田観光電鉄の三沢駅となった。廃止間近の寝台特急「日本海」に乗ってきた人、東北新幹線「はやぶさ」で直行してきた人など、各自思い思いの経路で三沢駅へ向かった。
 三沢駅のコンコースで集合した後、3月いっぱいで廃止になることが決まっている十和田観光電鉄(以下、十鉄)に乗り込んだ。乗車した車両には東京急行電鉄の中古車両である7200系電車が使われていた(写真1)。十鉄での使用に合わせて両運転台化改造が施されているが、写真は増設された側の運転台である。この車両で終点の十和田市まで向かった。実際に十鉄に乗った感想としては、やはりローカル線らしく速度が遅いという印象を受けた。また、多くの区間で道路が並走しており、自動車に抜かれる場面も見られた。しかしながら、学校名を冠する駅が多く、実際的にも学生の利用が多いことが分かった。鉄道が廃止された現在は代替バスが運行されているが、通学時間の状況がどうなっているか気になるところである。ちなみに、時刻表を見ると代替バスの所要時間は鉄道とあまり変わらない。地方私鉄の十鉄にとって、線形や並行道路などの条件が厳しかったことはかなりの痛手だったであろう。



写真1 十鉄7200系電車(十和田市駅にて)


 終点の十和田市駅に着くと、一行は駅ビル内の十鉄グッズを扱う売店に向かった。貴重な鉄道部品などを前に会員の視線は釘付けになっていた。十和田市駅からはコース別の行動となった。筆者は浅虫温泉へ行くコースに参加した。まず、十鉄で三沢駅まで戻り、青い森鉄道で浅虫温泉駅へ向かった。浅虫温泉駅には観光案内所が設置されており、ここで「麻蒸湯札(あさむしゆふだ)」という入湯券を購入した(写真2)。そして、日本海を一望できる「浅虫観光ホテル」に参加者全員で行き、温泉に入った。その後は全員で夕食をとるつもりだったのだが、予定していたレストランが閉まっており、数人ずつに分かれて夕食をとったり、もう一風呂浴びたりすることになった。



写真2 麻蒸湯札を購入(浅虫温泉駅にて)


 浅虫温泉を散策した後は、他のコースの人と集合するため青森駅に向かった。青森駅で再集合したのち、宿泊地の東横インでチェックインを済ませ、1日目は終了となった。



3. 2日目(2012年3月9日)

 2日目の朝は寝台特急「日本海」の到着を青森駅で撮影した(写真3)。そのあと、津軽鉄道のストーブ列車に乗るため、奥羽線と五能線を乗り継いで五所川原駅へ向かった。



写真3 寝台特急「日本海」と青い森鉄道(青森駅にて)


 五所川原に着くとしばらくフリータイムとなり、筆者は街を散策したり駅前で路線バスを撮影したりしていた。その後、津軽五所川原駅で会長から切符が配られ、定期運行の準急列車と併結したストーブ列車に乗り込んだ(写真4)。列車にはアテンダントが乗務しているほか、飲み物や土産などの車内販売もあり、中にはスルメイカを買ってストーブの上で焼いている会員もいた。車内販売のおじさんはとてもお話が上手で、賑やかで楽しい時間を過ごすことができた。終点の津軽中里駅に着くと、駅の中で地元の方の手料理を販売しており、多くの人はこれを購入して帰りの列車内で昼食となった。



写真4 準急列車の気動車に連結されたストーブ列車(津軽五所川原駅にて)


 五所川原に戻ると、その後はコース別行動になった。筆者は三内丸山遺跡を見学するコースに参加したため青森へ向かったのだが、五能線の列車本数が少ないため、弘南バスとねぶたん号を乗り継いで行くこととなった。三内丸山遺跡に着くと、まず一通り博物館を見学、その後外へ出て遺跡を見て回った。積雪が多く、まるで迷路といった状態の中で竪穴住居などを見学した(写真5)。



写真5 雪に埋もれた大型竪穴住居(三内丸山遺跡にて)


 遺跡の見学を終えると、ほかのコースの人たちと合流するために青森へ向かった。青森県観光物産館「アスパム」の展望台で夜景を堪能した後、夕食は郷土料理屋の「西むら」でとることにした。ここである会員の爆弾発言が飛び出すのだが、それについては重大ニュースをご覧いただきたい。



4. 3日目(2012年3月10日)

 3日目の朝は青森駅付近で列車の撮影をした後、「八甲田丸」の見学をした(写真6)。八甲田丸はかつて青函連絡船で使用されていたが、現在は青森駅近くに係留され、その船内は博物館となっている。八甲田丸の中では当時の制服を着ることができたり、青函連絡船の模型や写真など、当時の様子を偲ばせる展示がたくさん存在した。そして、最大の特徴が、貨物車両を搭載する「車両甲板」である。当時、鉄道車両が船を通じて海を渡るという、世界的にも珍しい輸送を行なっていた。博物館となった現在は、甲板内にディーゼル機関車や貨車、気動車などが保存・展示されている。



写真6 JNRの表記が残る八甲田丸


 今回の合宿の締めくくりは、弘南鉄道の乗車と黒石の街の散策である。まず、奥羽線で弘前へ向かい、弘南線の電車に乗り込んだ(写真7)。ここでも東京急行電鉄の中古車両が使われている。この列車で終点の黒石駅まで行き、その後自由行動となった。黒石ではつゆやきそばが名物になっており、会員はみなそれぞれ訪れた店で舌鼓を打った。また、黒石市の中心地の街並みは重要伝統的建造物群保存地区に指定されている。その商店街は、軒下を屋根のようにして作られた「こみせ」と呼ばれる木造のアーケードが、ノスタルジーで良い雰囲気であった。



写真7 弘南鉄道7000系電車(黒石駅にて)


 黒石の街を散策した後は弘南鉄道で弘前駅に戻り、新幹線で帰る人は新青森駅で、そのほかの人は青森駅で解散となった。



5. おわりに

 筆者にとって初めての青森旅行であったが、現地の積雪の多さに驚いた(笑)。また、廃止直前の十鉄や日本海を見ることができたり、地元の方々とお話ができたり、とても充実したものとなった。今回ご協力いただいた皆様には厚く御礼を申し上げる。以上で、春合宿の報告を終えることとする。



参考文献
  • 青森市港湾文化交流施設ホームページ URL:http://www7.ocn.ne.jp/~hakkouda/





 
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